ノーザンソウル(Northern Soul)について
F.ノーザンソウルって、日本とイギリス、アメリカで解釈が全く違うと思うんですが、イギリス人におけるノーザンソウルとは何でしょうか?
P.もともとあれは、アメリカの北部じゃなくて、イングランドの北部(マンチェスターなど)で流行った音楽、(イギリスとはイギリス全土の事を指すので)イングランドの北部の町、スコットランドは関係ないと思います。その辺りは工業都市が多くて、労働者階級の人が多いんですが、ロンドンに比べて楽しみが少なかったのかもしれないけど、レコードをかけて踊りまくるというパーティーが60年代から沢山あって、そこで自分たちの文化をDJが中心となって作り上げたと言うか、僕はロンドンの人間なのであまり詳しくは知らないけど、ballroomと言われる、昔は社交ダンスを踊る大きなダンスホールのような所で週に1回くらいくらいソウルをかけて踊る場所に変わって、当初はそこでモータウンっぽいポップなソウルをかけるDJが多かったんだけど、徐々にマニアックな、「え、こんなの聞いたことねえよ!」という曲をDJ達が競いあってかけるようになった。他のDJが持ってないものをどんどん競い合い、まるでジャマイカの初期のサウンドシステムみたいな状況になって、それが結果的にすごいマニアの世界に変わってしまったという事だと思います。
それで現在でもノーザン・ソウルのパーティーでは踊るための服を会場に持っていって、そこで着替えて、靴も踊るためのダンス・シューズに履き替えて一晩中踊りまくるという、すごい世界ですよね!
曲的には60年代前半から70年代前半のソウルの黄金時代の踊りやすくてある程度マニアックな曲を指すと思いますよ。そういうパーティーに行く人は普通の人が多いですが、DJはマニアばかりですね。まあしょっちゅう行ってる人はだんだんマニアになっちゃうのかな・・・(笑)ノーザン・ソウルのマニアには本当に詳しい人が多いですよね。曲的にはB級というのが多いかもしれないけど、それがイイって言う人もいるしね。
F.そうですね。内容的には・・・というコンピレーションも多いけど、そのコンピレーションを作ることに意義があるというか。古いアメリカの R&BとSoulの新種と絶滅危惧種の標本というか(笑)
1960〜70年代のロンドン
F.60年代のロンドンの事を知りたがってる人は凄く沢山日本にいると思うんですけど、その当時にロンドンに住んでいた人ってほとんどいないというか、その当時のことを語れる人はほとんどいないのではないでしょうか?日本に住んでいる人の中ではピーターさんぐらいじゃないですか(笑)
P.そうですかね?でも、そうかもね、もう年だから(笑)
F.いやいやそんなこと無いですよ!
P.まだ子供だったから一番良い時のGeorgie Fameは見られなかったけど、1967年に15歳でMarquee ClubでのJimi Hendrixのライヴを見てます。(一同驚愕)お酒を出すクラブには18歳未満の頃は行っちゃいけなかったし場違いなので行かなかったけど、普通のパッケージ・ツアーのコンサートには沢山行きましたよ。
F.そういえば、弟さんのレコード「Byzantium」も凄くプレミアがついて高額ですよね!
P.え?!あんなのが?(笑) あの当時は全く売れなくて、皆に配っても「いらない」っていわれてたのに(笑)でも紆余曲折あってCDで「「Byzantium / Live&Studio」」が再発されたみたいですね。でも最初に出たのは確かブートレッグだったはずです。その後にメンバーのリズムギターがバンド辞めた後大学に入り直して弁護士になってから、いろいろとやって権利を取り戻して再発したんじゃないかな?その当時はカントリー・ロックみたいなものを目指していて、GMというマネジメントに所属していて、そこにはFaces、Status Quoなどが所属してて、それらの前座などして活動してましたね。音楽的にはイギリス国内の評論家からは評価されていたけど全然売れなかった。そして70年代のなかばくらいになるとパブ・ロックからだんだんPunkっぽい流れになっていく中では全然存続できなかった。Brinsley Schwarzも全然流行らなかったでしょ。そして辞めた後にやっとNick LoweだけがStiffレーベルでプロデューサーやソングライターとして売れるという・・・こういう音楽は当時イギリスでは演奏したミュージシャンはいるけど、聞きたいお客さんがいなかったという状況だったし。
F.イギリスに住まれていた時に聴いていた音楽などを教えてください!
P.僕はとにかく軟弱なヴォーカルの人工的なポップ・ミュージックが生理的に駄目でした。
それは僕が15歳くらいでPaul Butterfieldの音楽にハマっちゃって、その後Bluesにハマっちゃったんですよ。そしてその当時はSoulの全盛期(60年代後半から70年代前半)イギリスでSoulがかなり流行ってて、もしかしたらアメリカよりイギリスの方が人気があったんじゃないかなと思うくらいです。Pirate radio(海賊放送局)で毎日のようにSoulがガンガンに流れていたから、とにかくSOULが大好きでした。そして黒人のSoul MusicとかBluesのリズム感が中学生から高校生の初期くらいにしっかりと身についちゃってるから、だからその当時流行ってた大物のRockなど、ただ単に速弾きするだけみたいなのは、面白くねえと(笑) そしてBluesとかの本当に良いギターを聞いているから、それらに比べてそういうのは味が無いと思ってたし。そして、それ以降のLed Zeppelinなどのハード・ロックもリズムがバン、バン、バンってそればっかりで、それだったらブラックのレコードの中にはもっと良いバンドがいくらでもあるし。それと甲高い声を張り上げて、ズボンがキツすぎるようなヴォーカルのものは駄目でした(笑)まだその当時はヘヴィー・メタルとは言われていなかったか、ほとんど浸透してなかったと思うけど、その手の音楽はイギリスでもすごく人気があり、友達は皆好きでしたよ。友達はレコードを持っていたけど、僕は全く駄目でした。
そして、僕が中学くらいの時にModsとRockersというグループがいてね、僕はModsがすごくカッコいいと思い、Modsに憧れてた。だけど当時はまだ子供だったから、お小遣いもなくて服も買えないし。スクーターに乗れるのが16歳でその時には1966〜1967年で、もうModsというムーヴメントは終わっていたんです。その後、何故か、なし崩し的に出てきたのがSkinhedsだったんですよ。
Modsはとにかくカッコよかった。一人一人りが個性的な格好をしてました。だけど、その後のSkinhedsはまるで制服のように皆同じ格好でした。Fred Perryの白いポロシャツ、赤いサスペンダー、短いLevi’sのジーンズに、Dr.Martensのブーツ。そして髪を短くしてまるで全員同じ格好だった。そして格好だけならいいんだけど、やたらと暴力的だった・・・60年代後半からそういう人達がかなり出てきた。そして厄介な怖い存在だった。National Front(イギリスの極右政党)が台頭して一部のメンバーが合流する前の時代ですけどね。そして僕の住んでいたところにはSkinhedsも多く、とてもイヤ〜な存在なので、それを連想させるSoulやRock Steadyなどは一時期、聞く気もしなかった(笑)ほんの数年ですけど。
Soulをまた聞き始めたのは1972年くらいかな。その当時は、ラジオではあまりジャマイカの音楽は流れてこなかったので余り聞く機会も無かったし、ヒット曲の「Desmond Decker / Israelites」くらいはかかってたけど、それ以外はそもそも聞くチャンスがなかったですね。
Bob Marleyとの出会い
P.そして、1973年に大学を卒業して、レコード店の店員として働き始めるんですが、僕が働いていたのは、ロンドンに7店舗くらいあったチェイン店でお店の名前はCloud Sevenという店。TemptationsのCloud Nineの二つ下(笑)その店はもうとっくにないんだけど、その店は白人の元スキンヘッズみたいなチャキチャキの店長と僕とイギリス生まれのジャマイカ系の(Tony)と3人体制でした。そんな大きい店じゃないし。
である時、雨で寒くてお客がいない時にTonyから「お前に聞いて欲しいレコードがあるんだ」って言われて聞かされたのがBob Marleyの「Catch a Fire 」だったんですよ。それが、今まで知っていたジャマイカの音楽の「ンチャ、ンチャ」という軽快なビートの音じゃなくて、今まで聞いた事ないくらいビートが重い、遅い、ベースの重低音がすごいヘヴィーな音をしてて、とにかく不思議な音をしてるなという感覚でした。今考えれば、あの音はプロデューサーのChris Blackwellが白人のロック・ファンにも受けるように、リードギターやキーボードをオーバーダビングして理解してもらえるように作った音だと思うけど、とにかく潜在的に自分に向けられているものに僕の中の何かが反応してしまったんだと思います。そして聴いているうちに曲の雰囲気と、歌と、ビートとあの凄い重低音、とにかく生まれて初めて聞く音楽で「ウワッー、何これ?!」ってTonyに聞いたら、「これがReggaeだ」と。僕はその時まだ「Reggae」という言葉は知らなかった。その頃はReggaeという言葉は浸透してなくてあまり知られていなかったと思いますが、その何年か前に「Maytals / Do the Reggay」という曲があったから言葉自体は存在はしていたんだと思います。
その当時は Wailersもまだイギリスでは無名で、「Catch a Fire」もあまり売れてなかった。その年の終り頃に「Burnin’」が出て、最初はそんなに売れてなかったんですよ。1974年の7月1日に日本に来たんだけど、そしてそのレコード屋勤務の一番最後の日、1974年6月30日に日本に旅だったから、その前の日まで働いていたんだけど。その最後の日に Eric Claptonのひさびさの復帰作「461 Ocean Boulevard」で先行シングル「I Shot The Sheriff.」が入荷して「ウォ!Eric ClaptonがWailersの曲やってるよ!」ってそれを聞かずに買って日本に持ってきたという思い出があります。それから、ReggaeとBob Marleyの知名度がかなり上昇しましたね。
F.僕も少しSka、Rock Steadyとか好きでよく聞いてて、イギリス盤のSkaやRock Steadyのレコードも少し持ってるんで、イギリスではSkaの時代からReggaeに到るまで、ジャマイカの音楽自体が浸透してたんだと思ってたのですが、やはり一般的にはあまり浸透してなかったんですね。
MODS
P.そう、でもイギリスにはジャマイカ人の2世は沢山住んでいるし、大きいコミュニィティーがある。Chris BlackwellがIsland Recordsを60年代初めに開業して、最初は、一重にイギリスに住むジャマイカ人のためにレコードを出すというレーベルでした。それ以外にも、在英ジャマイカ人に向けてのレコードを売っていた専門店は常にあったはずだし、彼らは常に新しいものを欲しがったので、プレス枚数が少なくても出せば確実に売れるような状況だった。で、初期のModsも彼らの音楽に憧れていて、まだBlue Beatと呼ばれている時代だったんだけど、初期のModsも皆そういうレコードを買っていた。ジャマイカの音楽は一般的には浸透はしていなかったけど、一部の人達にはもちろん、受け入れられていました。
で、僕が小学生の時、仲良しだった友達のお姉さんが、僕らがまだ10歳ぐらいで彼女が19歳くらいで、すごくかっこいいお姉さんで、何故かPrince BusterとかのBlue Beatの7インチを沢山持っていたのを覚えています。彼女もたぶんModだった。当時はかなり先駆的だったと思いますよ。
それと、Sueレーベルというのがあって、Guy Stevensという人が当時ロンドンで一番HipなクラブのDJだったらしいんだけど、彼がChris Blackwellに任されて、Sueレーベルのイギリス部門も運営したんですけど、ワンショットでアメリカのいくつかのレーベルから見つけ出したシンガー、グループのシングルを数多くイギリスで出してました。それで当時のModsや在英ジャマイカ人達もSueレーベルのレコードを買ってたんです。在英ジャマイカ人達は自分たちのレコードでは飽き足らず、アメリカのR&Bも当然いろいろと買っていたんですよ。
今の日本の若い人にとってのModsとはPaul Wellerだと思っていたりする訳ですが、僕にとってのModsとはGeorge Fameであり、Small Facesであり、Kinksなんだけど、これらは第2世代というか、初期のModsは1960年に20〜23歳くらいの人達の事、この頃のオニイちゃん、オネエちゃんが第1世代で、彼らが聴いていた音楽が初期のR&Bだったり、いわゆるHard Bop、Art Blakey, Charles Mingus, Bobby Timmonsやその辺りのゴスペルっぽいSoul Jazz、そしてこれらの音楽はR&Bと同じ感覚で聞かれていた。似てるからね。Blues感覚も強い。それにもちろん、Skaと呼ばれる前のBlue Beat、などが好まれていた。Skaはジャマイカが独立した1962年頃に発生したものだから。
そして、その辺の事を描いているのが、映画「Absolute Beginners」(邦題ビギナーズ)なんだけど、あれはColin MacInnesという人が原作で実は3部作の2作目なんですよ。そして1作目が「City of Spades」という本で、その「spade」というのはトランプのスペードの事で、スラングで黒人の事を指すんです。そのタイトルの意味は「黒人都市」。当時のロンドンの話しです。最後の3作目が「Mr. Love and Justice」というものでした。それらが書かれたのは1958年から1960年で、3部作全てが当時のイギリスの黒人の文化の事を書いてるんです。すごく面白い本でした。
F.個人的には映画「Absolute Beginners」は衝撃的でした。思い返すと、当時、唯一のサブカル系雑誌「宝島」の1986年7月号で、この映画に合せた様な企画で「ジャズ・クラブ・ファッション入門」や、監督のJulien TempleのインタビューとGaz MayallがJazzのDJとして紹介されていたりして。日本では一部の人に凄く騒がれていた映画でした。Sadeも出演してますよね。
P.あの映画の監督Julien Templeは僕と同い年で、映画が出た当時は知り合ってなかったけど、友達の友達で、年も同じだし、感覚的に僕と同じように子供としてMods〜黒人文化に憧れていたはずなんですよ。ですからあの映画は1986年に作られていてちょっとモダンな感じになっていると思いますけど、当時のロンドンは大体あんな感じではあったと思います。
と、ここで時間切れとなってしまいました。あっという間に時間が過ぎ、かなり楽しく、とても有意義な時間でした。こちらの稚拙な質問に対しても、実体験を元に、的確な答えをお答え頂き、まるでパズルの最後のピースが埋まるが如く、とてもスッキリも致しました。まだまだ聞きたいことがたくさんあり、特に英語・英会話の事は本当にいろいろとお聞きしたかったと伝えると、じゃまた別の機会に!と次回のインタビューも快諾して頂きました!次回もお楽しみに!
撮影協力:
alphabet soup (アルファベットスープ)
今回撮影に協力して頂いたアルファベットスープは当店の目の前のカフェです。
色々おいしいです!渋谷での一服には是非!
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