*長年の夢がついに実現!*
それは、今年の夏、古くからの友人である、FAROUTレーベルのオーナー、JOE DAVISとの会話から始まった。
その時も、BRAZILの奇跡的なFUSION GROUP"AZIMUTH"のライブのPRODUCERとして来日していたのだが、2001年の秋にMARCOS VALLEが来日して、ブルーノートでライブをするというではないか!(本当に残念であったが、AZIMUTHのライブはあばら骨を骨折の激痛と過労のためダウンして、見れませんでした、トホホホ)
今までに2回、とあるレストランバー的な所で、弾き語り程度のライブはしていたそうだが、大きな告知も宣伝も無く、私が知るすべも無く、残念なことに、行けなかったのであった。

思い出すこと早10年、先輩に聞かされた"CRICKET SINGS FOR ANAMARIA"は僕にとっては、ターニングポイントと言える、衝撃的な出会いであった。御多分にもれず、出会いはJAZZJUICEなるイギリス産の半ブートのコンピだったのだが、聞いた瞬間に棍棒で殴られた様な(ちょっと大げさかな^^)衝撃を覚え、BRAZIL音楽への、正に入り口を切り開いたといっても過言では無い出会いであった。しかし、興奮冷めやらぬうちに、この曲のオリジナルのレコードはあるのか?この歌手は何人なのか?生きているのか死んでいるのか?云々とむくむくと疑問が浮かび上がったのであった。その当時の若い私には全く、判別できず、そのことだけがずっと気がかりであった。その後、その当時の数々の有名中古盤店に問い合わせたが、答えは無く、嫌な顔だけ帰ってきたのであった!そういう時代であった!現在のレコ屋みたいに親切ではなかった(?!)(特に英語以外の言葉の音楽、特にLATIN,BRAZIL,REGGAE、は中古盤業界では軽視、入荷しているところも皆無であった)
それから、しばらくして、あの赤いタートルネックのジャケットを見た時の思いは、また格別であった。
そして、私の中で、MARCOS VALLEは別格の存在である。本当に思い入れのあるアーチストなのだ!レコードの値段が高く売れるという、そんな陳腐な事ではなく(笑)、どの曲も自分の琴線に触れる曲ばかりで、こんな素晴らしい才能があるミュージシャンがBRAZILにいるんだ!と感動したものであった。
そんな、彼と、幸運にも、会えるのだ!ライブも見れるんだ!と思うと本当に眠れない程、ワクワクした。こんなに気持ちが昂ぶるのも、本当に久し振りであった。そして、駄目で元々、先程のJOEに、時間があったら、一緒に食事したいんだけど、忙しいよね?と軽く聞いてみたら、何と「なに言ってんだ?そんなの全然大丈夫だよ!アーイ!」と、予想もしなかった返事が返ってきたではないか!しかも、僕も図に乗って、インタビューは無理かな?と尋ねると、「そんなの当然OKだよ、BROTHER アーイ!」と二つ返事で快く(というか)、半ば強引に彼の国内でのスケジュールに刻み込んでくれたのだった......! サンクス・ジョー!
その後、すぐに「MARCOS、寿司とかJAPANESE FOOD食いてぇ〜って言ってから寿司奢ってくれればいいよ、アーイ?!」
寿司でも天麩羅でもすき焼きでも何でも食わしてやる!と喜びも絶頂だったのであった!!

←今は在庫は無いですが記念すべき1ST EP
そして、来日。BLUENOTEでのライブは素晴らしいの一言で久々に鳥肌がたつ感触を味わい、JOEの送り迎えをしていた都合上、幸運にも毎日リハーサルも見学でき、当然の如く連日満員でした。
その後、帰国の数日前にやっと実現となった。
場所は都内某寿司屋の個室にて行われた!
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*生年月日、どこでお生まれになりましたか?
「1943年9月14日にRIO DE JANEIRO、生粋のカリオカだよ。」
*日本は何度目ですか?印象は?
「3度目だね。すばらしい国、96年に初めて来て以来、大好きだよ。」
「日本人の顔立ちが、僕にとっては、凄くエキゾッチクに写るし、ハイテクな文化も素晴らしい。」
*どんな子供でしたか? どんな10代を過ごされましたか?
「五人兄弟で、私は次男だよ。」
「父は、弁護士で、母方のお祖母さんがクラシックピアノの先生をしていた。」
「6歳からクラシックのピアノを始め、その時にお祖母に才能があると言われ、13年間はクラシックのピアノをずっと習っていたんだ。」
「そして父がスポーツが大好きで、よく、体を動かしなさいと言われたのが、脳裏にあるから、SPORTSが好きなのかもしれない。」
「今でも、何でもやるよ。」
「その当時はテニス、サーフィン、JETSKI、後はグレイシー柔術も少しやったりしたな。後、父の意思を継ぎ、僕自身も弁護士になろうと、大学の法学部に通ったんだ。」
「しかし、在学中にEdu Lobo,Dorybal Caymi,とたった半年だけど組んでた。名前はSonho de Maria.、半年くらいで解散した後、僕自身の1STアルバム*1が出たんだ。」
「そしてTAMBA TRIOが僕の曲をカバーした曲を初めて彼らのLPに収録してくれて、音楽活動が忙しくなり、弁護士よりも音楽活動のほうに気持ちが傾き、1年で大学を辞めざるを得なかったんだ。」
「1STアルバム*1 はスタジオミュージシャンとEUMIR DEODATOに手伝ってもらって作ったよ。」
*デビュー前に組んでいたグループでレコードは出されましたか?
「レコードは無いよ。たった半年だからね。」
*アメリカのJAZZはよく聞いていましたか?
「勿論。特に好きだったのは、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、フランク・シナトラ、ナット・キング・コールなんかを、自分の小遣いのほとんどをつぎ込んでレコードを買ってたよ。」
*セルジオ メンデスとの活動されていたと思いますが、その頃のエピソードを教えてください。私もたまにロスアンジェルスやサンフランシスコに行き、LA BREA BLVD.のA&Mの前を通るとMARCOSやSERGIO MENDESもこの辺に来てたのかな?とか思い出します。60年代のカリフォルニアはBRAZIL音楽が世界に普及したきっかけにもなった土地だと思いますが、その頃の様子を教えてください。
「L.A.やサンフランシスコは、海があって町があり、とてもRIO DE JANAEIROに似てて、音楽活動もしやすく、住みやすくて、結局sergioと一年半くらい活動したんだ。」
「TOM JOBIMも一緒に活動してたけど、彼はニューヨークが好きで、後にニューヨークに渡ってしまったけどね。」
「とにかく、良い時代だったよ。」
*自分の過去に出したレコードが高額で取引されている状況をどう思われますか?
「最初、聞いた時は、すごくびっくりしたけど、自分の過去の仕事が、そういう形で評価されるのは、すごくうれしい。」
*僕があなたの曲を知るきっかけになったのが、以前イギリスから出されたブートレッグ、”JAZZ JUICE”に収録されていた”CRICKETS SING FOR ANAMARIA”なんです。日本の若い多くのファンの方がそうだと思います。かなり衝撃的で、聞いてから、しばらくの間この人どこのだれなんだ?と調べた経緯があります。ブートレッグによって再発見されたのは皮肉です。
「私もそのブートレッグのことは知ってるよ。」
*古い音楽がsamplingなどによって再生することやカバーされることをどう思いますか?以前、ある日本の雑誌インタビューでEDU LOBOはあるGROUPに無断で使用したのがEDU LOBOの耳に入り、裁判沙汰になりそうになったみたいで、逆にSERGIO MENDESはどんどん使ってくれと言っていたのが印象的で、よく覚えています。
「僕自身は、大賛成だ。」
「カバーされた曲はよく聴くけれども、不出来なものは本当に少なく5%くらいかな?残り95%は、面白い。」
「よいインスピレーションを与えてくれるよ。」
「自分が作ったものを、他のアーチストがどういうアレンジをするのか、非常に興味深く楽しく、勉強になるね。」(EDU LOBOの話の時は笑ってました)
*私は音楽評論家でもないし、ただの中古レコード屋の自分が言うのは、おかしいかもしれませんが、あなたが64年くらいから活動されて、今回の作品まで、ほとんどの曲を聴きましたが、どの作品も高レベルというか、色褪せていない素晴らしい作品ばかりであると思います。33年間もの間、駄作が全くなく、常に時流に乗った素晴らしい作品を作り続けられて本当に素晴らしいと思います。これからも頑張ってください!
「ありがとう!」
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と、約一時間に渡るインタビューは終わった。あっという間の一時間で、緊張のあまり録音用のDATに音が録音されていないという、大ハプニングもあったが、鮨も喉を通らない、人生で本当にうれしい時間でありました。この忘れがたき思い出は、収入印紙つきの領収書とともにいつまでも忘れられません....
注 *1 1STアルバムは”SAMBA DE MAIS”